信心入門

お味わいです

信じない

阿弥陀仏は「そのまま救う」という。だから僕は「このまま」生きる。そのままで助けるというから、このまま生きていることを、信仰というのだろうか? 浄土真宗では聞即信と言われる。この聞が仏願の生起本末を指してるのか南無阿弥陀仏を指してるのか知らな…

無限を知る

人間は「比較」することでしか判断することができない。私はあの人よりはいい人だ、あの人よりは悪い人だ。 聴聞を心がけると、自分の浅ましさが知れてくると本に書いてあり、それは「聴聞で煩悩煩悩言われるからそう思うだけじゃないのか」と思っていたけれ…

二つの仮説

信心というのは信楽ともいい、原語は「チッタ・プラサーダ」である。サンスクリット語で「澄んだ心」という意味らしい。しかし凡夫の心にそんなものはない。だから阿弥陀如来から回向されるという。 道元禅師の言葉に、「放てば手に満てり」という言葉がある…

どうにもならない

一休さんにこういう逸話がある。 一休さんは亡くなるときに一通の封書を寺の弟子たちに残しました。 「この先、ほんとうに困ることがあったら、これを開けなさい」と言い遺しました。 何年かたって、寺に大変な難問題が持ち上り、どうしようもないので、弟子…

願い

宗教の本質は「祈り」であるという人がいる。確かに日本人の宗教観の基礎になっている神道やキリスト教は祈りを中心に据えている。ただ浄土真宗は、人間は祈らない。ただし祈りはある。誰が祈るのか?阿弥陀仏が祈るのである。誰に祈るのか?十方衆生、つま…

手のひら

人間は、10歳の頃あたりに「自分とは何か」「なぜ私とは私なのか」「死んだらどうなるのか」という問いを問うようになるらしい。これはほとんどの人に現れるらしいが、9割の人はスポーツなどで発散されるらしい。僕も、友達と遊んだり、ラノベや推理小説…

裏切り

人生は裏切る。釈尊はそういった。一切皆苦。苦とは元々は「ドゥッカ」と発音される言葉で、「思い通りにならない」ということだ。思い通りにならないということは、裏切られるということだ。 他人は裏切る。そんなのは当たり前だ。何回裏切られたか分からな…

自内証

自らを灯明とし、自らをたよりとして、他をたよりとせず、法を灯明とし、法をたよりとし、他のものをよりどころとせずにあれ。という釈尊の遺言がある。他にも、カーラーマ経というお経がある。少し長いけど引く。 『世尊よ、ある沙門、バラモンたちがやって…

実験

みな、死後は無だと言う。僕はこういう人たちは、戦中に生まれていれば優れた軍人になっていただろうし、イスラム教国へ生まれれば、毎日きっちり6回礼拝していたと思う。科学精神がないのだ。実験精神がないのだ。ニーチェは、自分の生は認識であるといっ…