信じない
阿弥陀仏は「そのまま救う」という。だから僕は「このまま」生きる。そのままで助けるというから、このまま生きていることを、信仰というのだろうか?
浄土真宗では聞即信と言われる。この聞が仏願の生起本末を指してるのか南無阿弥陀仏を指してるのか知らないけど、まあとにかく、阿弥陀仏がこのまま助けてくれることを聞く。聞いてどうするか?何もしない。強いて言えば念仏をする。
無宗教の人と、信者の違いは、「聞いたかどうか」にあるかにすぎない。疑いなく聞いたまま、生きるだけ。そのまま。
心の中を見ても、何も信仰らしきものはない。仲の良い同行は何もなさ過ぎて、逆に信心があるのか不安になっていた。「南無阿弥陀仏」以外に信心はない。南無阿弥陀仏という呼び声をそのまま聞くのが信心で、心のうちに「信じる心」というのはできない。
そのまま救うというからこのまま生きる。
生けらば念仏の功つもり 死なば浄土へまいりなん とてもかくてもこの身には 思いわずらうことぞなき と思いぬれば 死生共にわずらいなし