信心入門

お味わいです

裏切り

 人生は裏切る。釈尊はそういった。一切皆苦。苦とは元々は「ドゥッカ」と発音される言葉で、「思い通りにならない」ということだ。思い通りにならないということは、裏切られるということだ。
 他人は裏切る。そんなのは当たり前だ。何回裏切られたか分からない。それはここでは問題にしない。当たり前すぎるから。
 人生は裏切る。自己も裏切る。生まれてきたくなかったのに生まれた。老いたくないのに老いる。病気になりたくないのに病床につく。死ぬ。僕は死は最大の裏切りだと思う。何かの本に、ペットをなくした青年が「死っていうのは、やはり一つの裏切りですよ」と言ったと書いてあった。僕も母親が死んだ。愛別離苦だ。でも、裏切りの最たるものは、自己の死であると思う。僕は死にたくない。本当に死にたくない。死にたくない!
 
 「宇宙」は裏切らないことを知った。それが信仰である。一切のものは裏切る。自分ですら自分を裏切る。でも「宇宙」は裏切らない。「裏切らない」というのは「そばにいる」という事だと思う。人を殺しても側にいる。アル中になっても側にいる。「宇宙」は僕を裏切らない。人生における最大の裏切りである「死」さえも、宇宙は裏切らない。死なない。宇宙は愛に満ち溢れている。愛は目に見えない。「疑い」という「常識」「猿知恵」を外せば、宇宙が心に満入する。僕はこれは本当に不思議な事実であると思う。大無量寿経という霊性的な物語に対する計らいをなくせば宇宙が裏切らなくなる。なぜだろう?疑いがなくなっただけなのに、喜びと安心が湧いてくる。裏切らないものは、宇宙しかない。絶対に裏切らない、大きな存在がある。どこに?宇宙全部、もしくは心の中。自分を裏切らないものを知る。宇宙に満ち満ちている愛を知ることが人生にイエスということだと思う。

 疑いがなくなっただけなのに、なんでだろう?宇宙の裏切らない愛を僕が裏切り続けていたのだと思う。